医療行為において人権の取り扱いはセンシティブな問題のひとつである。

患者本人が望む場合を「任意入院」と呼ぶ。
そも、治療は患者の意思によって開始されるものであり、治療を開始するには入院が必須な状況だったとして、患者が断れば治療は原則行われないのである。
しかし、原則は原則であり、とりわけ精神疾患においては患者が治療を拒否するため、他の入院形態を取ることがある。
その中の一つが精神科医の判断と保護者の同意により強制入院させる「医療保護入院」である。

拒食症(ICD10:F508)患者において、治療は入院において開始され「行動制限療法」により治療が行われる。
行動制限療法は、噛み砕くと「食事摂取以外に自由を制限した状況下に患者を置き、食事摂取を通して自由を与えることで強制的に意識を変化させる」療法であり、医療行為と人権制限の紙一重にある。
(参考:http://www.overcome-ed.net/chiryo/byoin/c-kodoryoho.html)

患者本人が「この判断は異常だと分かっているが食べられない」と自覚があるのであれば、患者自身も自身が正常な判断ができていないと認識できており、任意入院として治療介入の必要は考えられる。
医療保護入院は患者が正常な判断が出来ないために、正常な判断を持つ他者が代行として同意を取る強制治療であるが、その場合の正常な判断とは「社会的通念に照らし合わせ逸脱した判断」であり、患者本人にとっては「正常(症状を異常と判断していない)」である可能性を拭えない。

身近な例として引きこもりを例に挙げると、引きこもりはストレッサーである外界との干渉を避け、内に籠もることで幸せを享受している。
この反応自体は正常な防衛機制であるが、社会生活を捨て干渉を拒否し続けることで問題となる。
しかし、本人は幸せな状況に置かれている。
保護者からの依頼で無理に外界と接触させ治療する必要(介入のベネフィット)はあるのか。

他例として、事故により植物状態になった患者のリビングウィル。延命措置をして欲しくない本人の意思と判断を、保護者の判断で奪ってしまうリスク。
また、抗がん剤治療において本人はありのまま「天寿を全うしたい」と希望している場合。
配偶者や子供達が永らえて欲しいと願うことで、患者が望まない負担を患者側に負わせてしまうリスク。

本人が「そうあるべきだ」と判断し幸福であるのならば、本来は医療が介入する必要のない可能性もある。
疾病自体は人間が生み出した概念であり、精神科領域はとりわけ定量的/客観的判断が不可能な領域であるうえ、疾病区分の増加と拡張によって現代に生きる誰もが最低一つの精神疾患を抱えているともされる。

「人とはかくあるべき」「人として社会的生活を送れるようにしなければならない」といった社会的通念に医療が引きづられ、精神疾患は治療しなければならない疾患と判断してしまっている多数の精神正常者のエゴイズムが医療の姿を歪めてしまっている可能性も考えられた。